第二巻~安心した頃に落とし穴~

『妊娠とは、予測不能な修行である。』

第一子(長女ちゃん)出産から1年4ヶ月後、第二子を授かった。

「今回こそは大丈夫!」そう思っていたのに・・・。

第二子のお話『30歳の誕生日にまさかの・・・』

「次は慎重に!」そう思っていたのに…。

第一子の時の切迫早産経験があるし、「今回は慎重に!」と気を引き締めて妊娠期を過ごすことを決意。

しかし、医師からこんな言葉をもらう。

『一人目がそうでも、またなるとは限らないよ。大丈夫!』

…えっ?

そうなの?

なら、今回はマタニティライフを楽しんでもいいの!?

そう思い、医師の許可を取りながら

  • マタニティヨガ
  • 長女ちゃんとベビースイミング
  • 長女ちゃんとのおでかけ
  • 友達とのランチ

…と、充実した妊娠期を過ごしていた。

 

  妊娠30週「やっぱり来たか・・・」  

しかし、時は訪れる。

妊娠30週の検診。

医師が少し困った顔で言う。

『子宮頚管が短くなってきてるから、自宅で安静に過ごしてね。張り止めの薬出しておくから、しっかり飲んで様子みよう。』

「先生、大丈夫って言ったじゃない・・・!」

楽しんでいたマタニティライフが、一気に後悔へと変わる。

でも、まだ入院ではない。長女ちゃんと一緒にいられる。

今回は長女ちゃんがいる!!入院するわけにはいかない!!

「今回は本気で自宅安静しよう」そう誓い、実家に帰ることを決めた。家事は母に任せ、当時1歳の長女ちゃんとともに、極力動かない生活を送ることにした。

私は前回の入院で学んだ。安静が曖昧だった時とは違う。

最終的な切迫早産の「安静」とは、トイレ、ご飯以外はベッドで横になったまま!重力がかかると、やはりお腹が張りやすくなるのだ。

再びあの副作用に耐えながらも…、赤ちゃんのためにじっと安静を続ける日々。

お腹を優しくさすりながら、何度も話しかけた。

「お願いだから、もう少しお腹にいてね。」

「ママも頑張るから、一緒に頑張ろうね。」

  節目を前にした試練  

数日間、実家で安静にしていたが…

「お腹が頻度に張る。強い張りではないが、規則的な張りの周期がある…。」

これはマズイかもしれないと思い、病院に駆け込む

検査をすると、医師が言う。

『子宮頚管の長さはまだ大丈夫ですが、頻繁に張りがあるので入院しましょう。』

・・・だよねー(涙)

二度目の入院生活が始まった。

 

点滴のおかげで張りは落ち着いたものの…。

  それは、私の30歳の誕生日。  

20代から30代になる節目。

「今日は、主人と子どもが面会にきてくれる!」そんな小さな楽しみを糧にしていた。

…しかし、午前中は元気だったのに、突然お腹が痛くなり始める。張りではなく、なんだか嫌な痛み…。

診察を待つ間、待てないほどの痛みになり、思わず診察室を叩いた。

「…お腹が痛いです!」

すぐに診察。

『陣痛の兆候がみられるので、分娩室へ』

医師の指示が出ると、すぐに看護師が駆け寄っていきた。そのまま車いすに乗せられて、分娩室へと運ばれる。

「…え?生まれちゃうの?」

「生まれてくるにはまだ早い!!」

「もし生まれてしまったら、赤ちゃんはどうなるの?」

ただただ赤ちゃんのことが心配で、不安で、涙が溢れた。

 

 30歳の誕生日は、一生忘れない(笑) 

状況が深刻になり、個人病院では対応できないため、大きな病院へ緊急搬送が決定。

救急車の中で、救命士が伝達する。

『はぴママさん30歳・はぴママさん30歳』

『はぴママさん30歳・はぴママさん30歳』

…昨日まで20代だったのに、30歳を連呼されるとは(笑)

お腹も痛くて、不安で仕方ないのに、何とも言えない羞恥心が込み上げた。

大病院に到着すると、大勢の医師と看護師に囲まれ、処置開始。

その中の一人、サバサバしたかっこいい女医さんがこう言った。

『大丈夫!これならなんとかもちそうだよ!』

その瞬間、緊張の糸が切れた。

張り詰めていた気持ちがふっと緩み、安堵した。

ただただ、よかったと。

全身の力が抜けるようだった。

そして私の二度目の入院生活が再び始まった・・・。

 

  教訓  

「妊娠に『絶対』はない。」

→妊娠経過が順調でも、医師に『大丈夫』と言われても、何が起こるかわからない。もちろん、医師が悪いわけではないし、過度な心配は必要ない。でも「万が一」の可能性は、心のどこかに留めておくといいのかもしれない。

 

 

 

 

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